NO NUKES
2年前
"夜想"でライブだった。
大阪でも揺れはあり、東北方面で大きな地震があったことは知りつつ、いつものように京都に向かった。
来てくださっていた「教授」が見せてくれた号外で、どうやら大変であるらしいと知った。
「らしい」程度のこと思ってのライブだった。
戻ってから、「どうやら」や「らしい」どころではない規模の被害が出ていることを知った。
何が言いたいかというと、
情報のないところでは、起こったことはすべて「対岸の火事」に過ぎない。
ということ。
己が目の前で見ていない現実以外の、情報として流されないこと、耳に届かないことは、
「ない」に等しい。
ということ。
昨年も書いたが、
「天災と人災ははっきり違う」
「天災」について語ることも大切だが、「人災」について語り続けることもまた重要。
なのだが、
「人災」については、多くのことがほとんど何も片付いていないにも関わらず、
その重大さに比して、流れる情報量は小さい。
まるでなきが如し。
日々、「反原発」を思う者、訴える者の声もまた、情報としての扱いが小さくなっている。
が、2年後の今日、あえて言う。
核なんかいらない。 原発なんかいらない。