教師受難の時代

授業で、「妖怪」を文化として捉えると云々……。という文章を読んでいる。


科学文明の発達・浸透と共に、我々の生活から夜の漆黒の「闇」は失われた。
旧来の「妖怪」たちはそのすみかを失い、時代の流れの中で姿を消していったが、現代にも「妖怪」たちは新たに生み出され続けている。
それは、科学文明が進歩し、生活が便利になっても、人の心の「闇」がなくなることはないからである。


「夜の闇」と「心の闇」を引っ掛けて、なかなか気の利いたことを書いてやったわい。しめしめ。
と、筆者自身が思っているに違いない、言うなればただそれに尽きる文章なのですが、


現代都市社会に送り出された「妖怪」は、新たな環境の中に出没しやすい場所を探しながら、現代人の生活事情を踏まえながら立ち現れる。
として、ちょっと旧聞だが「口裂け女」という「妖怪」のうわさ話に言及しておって、


口裂け女」という「妖怪」は、古典的伝統的「妖怪話」の構造に相似したところを保持しつつ、
超越的・神秘的属性は希薄化され、現代に即した極めて合理的な説明が施されているとし、


その出自について、


1)「教育ママ」の象徴的表現である


という説と、筆者自身が唱えたという、


2)女性を支配する「美」の価値観に対する「恐怖」が生み出したもの


との説をあげている。


この評論家的文学的言い回しの意味するところを、子供にもわかるように説明してもらえますか?
というボクの質問に、即座に答えられる高校生はそう多くない。残念ながら……。


だもんで、


口裂け女」という「妖怪」は、どのような人が何に対して抱いたどのような感情が、形象化された(「妖怪」という形になった)ものなのか、わかりやすく説明してください。


と、解答し易いように、質問の方向性を指し示すわけですが、その頃には、


そういう言語活動に関心の薄い連中の意識は、どこか他の場所へ行ってしまうのですが、
そういう連中の国語表現能力というものは、今後一切、進展伸長する可能性はほとんどないと思われるのですが(爆)、


中には、面白がりながら、なんとか自分のコトバで説明しようとする者もいて、


驚いたことに、複数のクラスで、


1)の説について、


「学校の先生」が、「学校への不満を言い募ってくる保護者(大抵は母親)」に対して、「ぎゃあぎゃあうるせぇなこのオバサン、そんなに喚いてたら、そのうち口が耳まで裂けちゃいますぜ」と思っている感情が積もり積もって、「妖怪」という形になったものである。


という解釈を致した者がいたのでありまして、最初のクラスでは、


ま、そういう突飛な発想をする者もいるであろ。ぐらいの感じだったのですけれど、別のクラスでも同じ発想が出て来たのを目の当たりにするつけ、


昨今は、生徒の目から見ても、


学校の教員というのは、上から抑え込まれ、下から突き上げられ、とても可哀想である。
と、思われているようなのであります。うきゅう……。


だけんども、「口裂け女」の噂が駆け巡ったのは1978年〜79年のこと。
その頃の学校教師というのは、今に比べりゃ、それなりに権威もあって、それなりに尊敬も集めていたと思いますぜ。


というわけで、


権威もなければ、尊敬にも値せず、金もなければ夢もない、


学校教師は、今日もあくせく授業を致しましたですよ。というお話。


というわけで、今日の宿題。


上記の1)&2)を、それぞれ小学生にもわかるように説明しなさい。してけろ。けろよん。けろけろ。