ボクの育った街

中学の時だったと思う、


図書館で、「大阪府地名総攬」(確かそんな感じの書名)という、アイウエオ順で相当の冊数に上る本を見つけて、
自分の育った街のことを調べてみた。


ら、


「凡そ工業地帯」


という紋切り型に書かれていて、あ、そーなの?
というか、そーなんだ……。でも、ボクはそこに住んでいて、暮らしているんですけど……。


と、思ったことを記憶している。


読売・産経論外にしても、近頃、朝日ももひとつだよなぁ……、
と、思うことがしばしばある本日の朝日新聞夕刊のローカル記事、「ますます勝手に 関西遺産」のコーナーに、
「ココアシガレット」を筆頭に、パロディー駄菓子を製造販売している「オリオン」の話が出ていて、


あー、ありましたねこれ。最近見ないけど、まだあるんですねこれ。
と、懐かしく読みながら、記事の最後に記されている「オリオン」本社の住所、


ボクの育った街だった。ウチのすぐ近くだった。
そー言えば、そういう会社があったことが記憶の底から蘇ってきた。
ほど近いところに卓球場があったこともまた、記憶の底から蘇ってきた。


ボクの育った街には、


近頃とんと見なくなった袋ラーメン、ワンタンメンで有名なエースコックの工場もあったし、
ぼんち揚げで有名な、ぼんちあられの工場もあった。
袋詰めの商品として売るには問題のある割れたぼんち揚げを、安く売っているので、工場までビニール袋持参で買いに行ったこともあった。
近頃は、100均で買った品物の製造元を見ると、ボクが育った街の住所であることもしばしば。


客観的に見て、「凡そ工業地帯」と言われても仕方ないわな、そら……。


にしても、面白げなものを作っている工場が身近にあれこれあったにも関わりませず、
そーゆーところに「工場見学」に行くことはついぞなかった。


当時、小学校には「工場見学」なるものが行事として組み込まれていたように思うのだが、
どこに行ったか、何を見たのか、記憶がない。


「凡そ工業地帯」の子供には、工場など見せるまでもない。と、思ったのかどうだか……


そんなボクが育った街の、育った家はすでにない。


家がなくなったあとの更地は、他人様の土地で、今、どうなっているのか、


知らない。知ったところで、何がどうなるわけでもない……。