Sunny

お袋が梅田に出る時、連れられて一緒に行くことがあった。


電車もあったが、大抵はバス。


隣町を過ぎる時、バスは「孤児院」の前を通った。キリスト教の教会に付属する施設だった。


今は、「孤児院」とは言わない。「児童養護施設」と言う。


そこを通るたび、いつもお袋はオレに、「ここにおるのは、かわいそうな子ぉらやねんで」と、言った。


いつも、切なくてやるせなかった。他人様から「かわいそう」なんて言われたくないよな、と思った。


時が経ち、オトナになって、オレは今の仕事に就いた。


先の職場には、「施設」から通学してくる子らが複数いた。


今の職場では、話題に上らぬことからして、「施設」から通う子らはいないと思われる。


オレは、あの場所で暮らしていた子らと比べると、「かわいそう」ではなかったかも知れない。


でも、今のこの時代に生まれていたら、


大学なんてものには行けてなかっただろうなと思う。


現行、国公立大学の授業料535,800円。


オレの頃、180,000円。半期毎の申請で、それが、全額または半額免除になっていた。
育英会から奨学金月額26,000円を、4年間無利子で借り受けていた。
定期的な仕送りはなかった。学費と生活費は、そのほとんどを己で稼いでいた。


講義に顔出してなかったのはオレ自身の身勝手ではあるけれど、大学の教員から学んだもの得たものはほとんどなかった。


けれども、要領よく卒業はした。卒業したことで、今の仕事に就いた。
借り受けた奨学金は、この仕事に就いて規定の年数働いたことによって返還免除になった。
今、そんな制度は廃止され、授業料の免除というのも、それが適用される絶対数が減っていることは想像に難くない。


この世に生を受けた時の、スタートラインが違う。生を受けてからの、歩くコースが違う。


スタートラインを、歩くコースを、自身で選択することはできない。


「平等な社会」というのが、「まやかし」じゃない世の中になればいいのにな。と、思う。


でも、


政治なんてものを動かそう、動かしてやると思っている者の大多数が、そんなことを願っているようには思えない。


松本大洋の"Sunny"3巻読みながら、


子供らが、「悲しく」「切ない」思いをしないで済む世の中になればいいのにな。


「悲しさ」や「切なさ」ということを、わかる人ばかりになればいいのにな。


と、思った……。