強さとか優しさとか

取りあえず、


自分が10代だった頃のこと振り返って思うのは、


過保護な環境にある者は、とことん過保護な環境に置かれ、
ネグレクトな環境にある者は、とことんネグレクトな環境に置かれていて、


極端にも程があるということ。


大学出願の手続きやら、受験する大学が遠方の時の切符やら宿の手配を親にしてもらうヤツは、軽蔑の対象でしかなかったのだが、
もはや、そちらのほうが主流。


センター試験の受検料の振り込みに親が行き、子の名前で振り込むべき所を親が自分の名前を書いて、あとから慌てふためく者、多数。
合格した暁には、親が誂えてやったスーツに身を包んだ子の入学式に、いそいそくっついていく親多数。
高校の入学式、体育祭、文化祭、卒業式にビデオ持参して駆け付け、我が子の姿を躍起になって追い求める親多数。
学校の不満、諦めるなり達観するなり自己解決できず、自分のことは棚に上げつつ親に訴え、それを真に受けて直訴してくる親多数。


一方で、


子が中学を卒業したら、そこで親業を満了。金も食事もロクに与えず、子が何をしてようが放置する親もまた多数。


結果、


無菌箱の中でぬくぬく育てられた家畜と、面倒になった挙げ句に捨てられたペットばかりが増えていく。


  強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。


と言ったのは、フィリップ・マーロウですけれど、


  強くないから生きて行くのは大変です。優しくないから、人のことはどうあれ、自分の生きる権利は主張しまーす。


って、感じのようで、


でもって、そんな人々によって構成されている世の中は、


  強いんだからごり押しします。優しくないから他人の思惑など関係ありません。


というような人のことがお好きなようで、


なんだかなぁ……。