古民家600万円

年明けてから、


通勤途上、スタジオ途上の電信柱に、


「古民家600万円 定年退職後の生活をのんびり暮らしたい人へ」


という張り紙がちらほらと目につくようになった。


立ち止まって、逐一何が書いてあるのかを読もうというところまで至っていなかったのだが、
気になった人、職場の同僚にもいたようで、何が書いてあるのか、立ち止まって読んだ人がいたようで、


その人の見た広告の当該物件は、和歌山県の僻地。


年取ってからの年金暮らし、やっぱり僻地より都会の方が暮らしやすいんでないの?
という結論だったりする中、


たまに姿を見せる、「組合」の仕事をしていて、籍だけが我が職場に残っている方が、現れて、


悲しいお報せ。


来年度定年退職する同業者の退職金、270万円ほど削られるらしい。
そして、次々年度以降に定年を迎える人々の退職金は、570万円ばかり削られるらしい。


というわけで、


電柱の広告が、極めて怪しげな物件であろうことは別にして、
我々は30数年働いた結果、古民家ひとつ分、貰えた筈のものが頂けなくなるようである。


ただでさえ、管理や監視を強化し続け、窮屈さばかりが驚異的に加速度を増しているこの職場、
真面目に仕事をしている者のバカバカしさもまた、驚異的に加速度を増している。


教育力の向上が聞いて呆れる。


日々、目の前にしているティーンズたち、自分たちに最も身近で、
しかも、生き甲斐やら、やり甲斐があるような気がするのか、はたまた、端で見ている分には楽しそうに見えるのか、
かてて加えて、ここが最も肝心なところなのだろうけれど、自分たちにも手の届きそうに思える仕事であるからか、


教員という仕事に就きたがっている者が少なくないようなのだが、


悪いことは言わない、


今、選択するには、最も割りの悪い職業である。ということをお伝えしておきます。


教育現場を支える者どもの士気は、ひたすら右下がり。気の利いた者は、そんな夢のない職場で働きたいとは思わない。


それでも、そういう職場で働きたいと思うのは、


アタマのてっぺんから爪先まで、全身がボランティア精神でできている者か、
社会の不合理や理不尽を斜めに見ながら、人の世の矛盾を嘆いている者。


大金持ちになりたいという欲求あるわけでなく、権威権力を我が手中に収めたいと思っているわけでもないけれど、
それなりの学識は備えていて、知性というものを語ることのできるレベルにある者が、自らを現代の隠遁者世捨て人に仮託して、教職なんちゅものに就いていた時代はまだしも、


現状は、学識学才心許なく、知性とか理性とかいうことについて自らのアタマで考えたこともなさそうな者が手の届く仕事。
現場を支える人的資源は、枯渇の一途を辿っている。


教育力の向上が聞いて呆れる。


ノー フューチャ ノー フューチャ ノー フューチャ フォー アス……。