やるもやらぬも自由
生徒らの休み明けて、
宿題テスト、でもって、授業。
宿題やらぬままテスト受けて、「なんで初日の午後から授業まであるねん」
と、言っている生徒と、
宿題選ぶのに、与えた課題の4倍は優に超えると思われる分量のテキストや問題を吟味した上で、
その中から、ここは抑えてもらわんければというポイントを抑えた考査問題作成した結果、
目の前に現れたわけのわからん解答に「×」ばかりつけながら、「テストの日に、なんで午後は授業やねん」
と、言っているオトナと、
どちらが「ダルい」かと言うと、
圧倒的に後者の方が「ダルい」と思われた本格始動初日。
帰宅したら、なんだか、どーっと草臥れて、早々にダウン……。
牛馬を水場に連れて行くことはできる。でも、水を飲ませることはできない。彼らにその気がない限り。
飲みたくないものを飲ませようとは思わない。飲みたくなければ飲まなければよい。
と、オイラは思うのだけれど、昨今は、それが相手のためになるのなら、
飲みたくない者にも無理矢理飲ませる方が良いという世の中になって来ているようである。
それは、自分が進んで飲まなかったことによる結果を、他人のせいにする者が増えてきているからなのだが、
ボクの仕事は、若者を正しい水場に連れて行くこと。無理矢理飲ませようとは思わない。
飲むも飲まぬも自由。やるもやらぬも自由。他に飲みたいものがあるなら、そちらを飲めばいい。
ただ、後から、無理矢理飲ませて欲しかったのに飲ませてくれなかった。などようの泣き言は言わないように。ね。