貧しさということ

いつも意識しているわけでもないけれど、


折に触れ、


思い起こすことがある。そして、途轍もなく哀しくなる。


バンドマンには、自らの意志で定職に就かないという人生の選択をしている者が多い。
それはそれ、当然のこととして「カネ」が潤沢にあるわけではなく、
いつも、「カネ」がない「カネ」がないとピーピーしている。


けれど、それは誰かから押し付けられたわけでなく自らが選択したこと。「心」まで貧しいわけではない。


そんな彼彼女らを見ながら、


オレ自身が若き日に、そういう人生の選択ができたかというと、


できなかった。


それは、


オレがお固い人間だったからではない。オレの意志が彼らより弱かったからではない。オレを取り巻く環境がそれを許すことがなかったから。
オレの親は、自分たちは自分たちでやっているから生きているから、子であるあなたは好きなようにやりなさい生きなさい。
という人たちではなかった。子にぶら下がって生きようとする人たちだった。
自身の老後を託すために子をもうけ育てることを企図した親は、経済的にも精神的にも、子から自立して生きよう生きねばならないとは思っていなかった。子の人生は子の人生と思っている人たちではなかった。


「カネ」があるならまだしも「カネ」もなかった。ひとりもうけた子が金持ちになるその日のことを夢想し生きていた。
それはとても「貧しい」ことだった。オレは「貧しさ」に取り巻かれていた。


そんな親なら、見限ればよかった。でも、見限ることがオレにはできなかった。


音楽をやりたいとか、芝居をやりたいとか、映画を作りたいとか、
そんな思いに蓋をして、普通に給金が頂戴できる仕事に就くしかなかった。


そうやって就いた仕事を、結果、つまらないとかくだらないと思わずに済んでいるのは救いだけれど、


それが自身にとって、今よりもいいことなのか悪いことなのかはわからないにせよ、
「貧しさ」に取り巻かれていなければ、きっと、別の生き方していただろうな。


とんでもなく離れたところから走り始めて、今さらどうしてというところから走り始めて、


9年目のライブ、あと2本。