I won’t kill you.You shall live.
ちょいと剣呑な話になりますが、
これまで生きてきて、
殺してやりたい!と、殺意を抱くに至ったヤツこそいなかったのですけれど、
ぶん殴ってやりたい!と思ったヤツや、死ねばいいのに!と思ったヤツは、正直言っていなかったわけではありません。
「ぶん殴る」という行為そのものも、小学生まではともかく、中学に上がって以降、ボク自身はないと思います。ないんじゃないかな?
理不尽に「ぶん殴られた」ことは結構あるけれど……。
でも、「ぶん殴って」やりたいヤツにしても、
面と向かえば向かったで、そいつには、「あなたはかわいそうな人ですね」と、侮りの蔑みの哀れみの言葉を投げ掛けることはあっても、「ぶん殴る」ことはしないと思うのです。
このご時世にありながら、今、職場で対峙している若者の中には、このボクのやっている仕事につきたいなど思っているらしき者が結構いるようなのですが、
この仕事、日々、ニンゲンちゅのにダイレクトに関わる、結構因果な仕事ですから、
職場によっては、いや、職場によらず、
「こんなヤツは死ねばいいのに!」という者を、結構な数、目にすることになるわけで、ボクは今までに、老若男女を問わず、かなりの数、そういう人を見てきております。
自分で言うのも何なのですが、この仕事をやっている者の中でもボクは、相当な修羅場を潜ってきているわけで、
ニンゲンの持つ「悪意」というものを、今までに、かなりの数、見聞きし、この身に浴びてきております。
それはもう、筆舌に尽くしがたいストレスになるのですが、心身に様々な不調も来しましたが、まぁ、何とか今まで壊れずに生き延びております。
もう一度、人生やり直せるなら、この仕事を選択することはないと思います。
そんなボクが知っているのは、
ニンゲンには、徹頭徹尾、アタマのてっぺんから爪先に至るまで、「自分と自分を取り巻くものの利益」にしか関心のない者、「自分と自分を取り巻く者」が幸せであるなら、他の者はどうでもいいと思っている者が、かなりの数、この同じ空の下で生きている、息をしているということ。
それは、学力や知識の量と相関関係があるようで、実はそうでもなく、
地位や名誉やカネを持っている持っていないに関わらず、
そういう者はこの世には、たくさん棲息しております。
自身の幸せを追い求めることが他者の幸せを損なうことになってはいないか?
日々、それを思い考えるようになることこそが、真の意味における「知性」だとボクは思うのだけれど、
「知性」のカケラすらない者が、
「学力向上」やら、「国際競争力の向上」やら、「富国」やら、「強兵」やらを、正義面で謳っていて、
「知性」のカケラもない者どもが、その尻馬に乗って、
自身の気に入らないものを「ぶん殴ったり」、「叩きのめしたり」したがっている世相を見るにつけ、
殺意こそ抱くことはないけれど、「………」と、正直のところ思ったり致すのであります。
「物理的な暴力」であれ、他の形の「暴力」であれ、
それを使って、ぶん殴ったり、叩きのめしたり、こてんぱんにやっつけたとしても、
他者は勿論、自身も幸せになることなどない。
暴力が、圧力が、威嚇が、何かを円満に解決することはない。
100%ない。断言できる。
にもかかわらず、
自分がよければ、誰かが踏みつけにされ虐げられることになっても、そんなことは知ったこっちゃない。
どうやら、それでいい者が多いらしい。自身が幸せになれたらそれでいいらしい。
競争に負けた者は死ねばいいらしい。
そんな連中の思う、強い国とか豊かな国って何なんだろな?
競争して死ぬのは、実は、尻馬に乗ってるあなたの方かも知れないのだけれど……。
そんなヤツらから、「………」。
ちょいと剣呑ですが。