What do you want?
授業で読んでいる文章
人は、自身を社会化するために「衣服」を選択し着用する、という話。
論点が絞られていない些か散漫な感じのする文章ではあるけれど、
過去の身分制のくびきから解放され、基本的人権と職業選択の自由を与えられた我々、
自己が何者であるのかを探し求めるのに汲々とすることになった我々、
他者との差別化を図ることを模索しつつも、真の意味における独自性を有することは至難。
となれば、自身より上位にある集団への同化を図ることで、自身のアイデンティティを見出そうとする。
上位集団に同化するにも、文化的蓄積を重ねることは相当の努力を要する。ならば、上位集団の外見や取り巻く物どもを模倣する方が話は早い。
外見や環境を模倣するには、流行やモードに乗っかればよい。
かくして、流行・モードは人々に、本来不必要な物の購買意欲を煽り、市場を活性化させる。という論旨。
ま、そうなのだろう。
今、この国の人々は、景気の悪さや経済活動の停滞を嘆きながらも、その実、日々、本来は不必要な物を買いあさっている。
経済活動の活発化は、限りある資源を争奪し合い浪費することや、弱い立場にある人間の労働力を買い叩くことと背中合わせ。
にもかかわらず、人々は同時に環境保護や地球資源の大切さを説いたりもする。
当たり前なのだが、経済活動の活性化と環境保護は、決して両立しない。
消費行動・経済活動の活性化を願う者は、本来は環境保護を語れない。語る資格はない。
環境保護を語る者は、己の消費への欲求に目を瞑らなければならない。
消費行動・経済活動の活性化を願う者が、反原発・脱原発に賛同するわけはない。
流行・モードを作り、購買意欲を煽る側である大企業に属している者が、反原発・脱原発に与するわけはない。
そんなことはわかっている。
だから、
「金は必要だが重要ではない」そんな世界を欲する者にとって、
世界は、政治は、くだらなすぎる。
世界はくだらないから ぶっとんでいたいのさ♪
夜、久々に、"The Birthday" at Zepp Namba
腹が立つほど、いい音だったな。