Kの話

『Kの昇天』は梶井基次郎ですが、


高校を2年まで通っていた者ならそのほとんどが、「下 先生と遺書」の要所は読んでいると思われる、


『こころ』の「K」の話。


授業で読むの、もう十回は越えていると思うが、読めば読むほどのスルメ小説。今回は今回で、また違ったところに引っ掛かった。


明治の精神に殉じるって何さ?とか、
三角関係と言いつつ、当該のお嬢さん自身の思いは蚊帳の外じゃん?とか、


ま、ピンと来ないところもあるだろう。ま、そうだろう。


なのだが、今回、引っ掛かったのは、


「K」というオトコが、今、目の前にいる高校生の男女にとって、どこまでのリアリティがあるのだろう?


というところ。


授業中、口で言うのは憚られることもございますゆえ、ここに書いておくことにする。


今まで、いろんなガッコで『こころ』を読んで来たのだけれど、


例えば、


とある勤務校の生徒らは男子ばかり。卒業を迎えて、
「兄貴が(或いは親戚の兄ちゃんが)、一緒に"風俗"に連れてったるわ言うてくれてんねん。わくわく」というような者が大多数。


また、


とある学校では、在校中に懐妊し、出産に至る女子生徒多数。大げさでなく、一年に、両の手の指では数えきれぬほど。
その相手のオトコもまた生徒。結婚に至ること、至っても、長続きすることが困難であること多し。
虚勢と誇張で語ることも多いのだろうが、過去に関係を持った女の数を自慢したがる者、多数。
教師であるオレに、今まで何人の生徒と関係を持ったかを真顔で尋ねてくる者もまた、多数。
教師であるオレに、金銭を介した関係を持ちたがった女生徒もあり。


そんな、彼、彼女を前にしても、『こころ』は読んで来たのだけれど、
彼、彼女らに、「K」というオトコの存在に共感することはおろか、理解することも難しかったのではないか? と、思う。


単に、変なヤツ。だったのだろうと思う。


オレは、中学高校とキリスト教系のガッコに通っていて、同級生には自身もカトリックの信者である者が少なからずいた。
自身の信仰と向き合う中で、思春期真っ直中にある己の「性欲」をどう扱うかという問題に直面し、苦悩している者がいたのを知っている。


「K」は、「道のためにはすべてを犠牲にすべきものだ」と考えている男。
「摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨げになる」と考えている男である。


世間には、"風俗"というものが、産業として成立している。
この国のオトコという生き物の、どれだけの者が、それを産業たり得るくらいに支えているのかわからぬが、
オトコという生き物の多くが、「性」という「欲望」を、金で解決し、満たしている。


が、「K」は無論のこと、「K」を裏切り追い込んだ「私」にしたところで、「性」を金で買うようなオトコではない。


作家・吉行淳之介は、身を鬻(ひさ)いで生活する女たちの世界を多く描いた。彼自身もまた、そういう女たちと多く関わりを持った人であった。
オレは、吉行の書いたものが好きである。彼は、女たちを、すべての女たちを愛していたから。
自身の「性」を売る女をも、馬鹿にすることなく、同じ人間として、ひとりの人間として尊重し、愛していたから。
「性」を金で買うオトコの中にも、そういう人がいなかったわけではない。


何ごとも経験である。と、思ったことがないではないが、
オレもまた、「性」を金で売る女を、ひとりの人間として尊重し、愛せると思うけれど、
飯島愛というタレントが逝った時、ファンというわけではなかったが、ひとりの女の死を、とても悲しみ、悼んだのだけれど、


オレ自身は、今までに、「性」という「欲望」を、金でどうこうしたことは一度もない。


そういう者が、少数派なのか、多数派なのか、オレは知らない。


のだけれど、


たとえ恋人同士であっても、結婚前に関係を持つのは不道徳だ。
など言おうものなら、鼻で笑われかねない現代、


いや、現代に限ったわけではない。同時に古典の授業で読んでいる『源氏物語』では、


帝は、第一夫人である弘徽殿女御との間に、一の皇子と複数の皇女をもうけながら、別の更衣にぞっこん。
明けても暮れても寵愛しまくり、並大抵ではない惚れ込みようの結果、光源氏をもうけている。
その光源氏光源氏で、マザコンの上にロリコン。関係した女性は星の数。父帝の夫人との間に不逞の子までもうけている。
ほとんど淫乱。性欲の化け物怪物(笑)


「K」というオトコの存在にリアリティがなければ、『こころ』という小説は、成立し得ないように思うのだけれど、
「K」というオトコ、実際の所、どれほどの人にとって、リアリティがあるのだろう?あったのだろう?


オレは、『源氏物語』の帝や光源氏よりも、「K」の方がずっとリアリティがあるのだが……。


にしても、


片や、精進をモットーとする修行僧のような青年。
片や、父親の女や幼女にまで手を出す淫乱美青年。


「文学」って極端だよな。ガッコで何を教えとんねん!
ニンゲンとは何かを教えとんねん!(笑)