クラスTシャツなんていらない

ひと昔前ならば、本日が学期始めのはずなのであるけれど、


土日が休みになって、授業時間は最低○○時間確保しなせぇ。というお達しもあって、
当節、小中は知らんが、高校というところは、盆が開けたらもう授業を開始しておるわけで、


夏休み明け元気溌剌!の学期始めのはずが、


すでにして、生徒も教師もバテている……。


かてて加えて我が勤務先、週末に「文化祭」なんちゅのが控えておるので、今週は7連勤。
おーまいがー!


何を好きこのんで、こんな時期に「文化祭」ちゅのやるのかやらせるのかわけがわからんが、
大学受験モードに入った3年生の秋に、チンタラ遊ばせるわけには参らん。ということなのだと想像する。


にしても、


夏の間、ほとんど準備してないものを9月に入ってから1週間で、さぁ「文化祭」です。やりなはれ。


とゆーのには無理がある。無理があるから、
決めなきゃならんのに決まってないこと山積しておる。


そして、


「文化祭」とゆーものに、「学級・クラス」でもって必ず何かをやらせる参加させるということに、
一体全体、何の意味があるのだろーか?


日頃からその方面で活動しておる「演劇部」だの「映画研究部」だの「美術部」だの「書道部」だの「文芸部」だの「音楽関係クラブ」だの「家庭科部」だのに加えて、有志で何ごとかをやろうやりたいという者どもが何かをやればいいではないか。


と、前から思う。今でも思う。死ぬまで思うと思う(笑)


これがやりたい!という強固な全体的意志があるわけでもないところで、
しょーもない(失礼)お芝居やったり、お店出したり、イベントの真似事をして、何が楽しいのか?


クラスのまとまり? 連帯意識? 一体感?


いらんわそんなもん。クラスには馬の合うヤツもいれば、いけ好かないヤツもいる。


同じ目的意識の元に出来上がった集団が、その目的意識に向かって何かをやる。ってぇなら、まだしも、
何が悲しゅて、適当に振り分けられた便宜的な集団に、連帯意識や帰属意識を持たにゃならんのか。
くだらないったらありゃしねぇ。


小さい時分から、そんなこと強要しているから、「いじめ」なんちゅのも蔓延るのである。


生徒は生徒で「クラスTシャツ」なんちゅの拵えてみんなで着用したがるし、


  ひとつになんてならんで(=ならないで)ください。


というのは、俳優・小沢昭一氏のコトバだが、
日本人、ひとつになって良かったことなど今までかつて一度もなかったですぜぃ。


前前任校の担任していたクラスのホームルームで、文化祭実行委員が、
「クラスTシャツを作るので色とデザインを決めるんですが云々。1着○○円です云々……」と、喋っているところに、
「安いものじゃなし、中にはいらないって人もいるんじゃないかな?聞いてあげてよ」と口を挟んで、
いらないと手を挙げた生徒がいたので、「じゃ、ボクと○○くんはいらないですから」


と、クラスTシャツを買わなかったのは、他でもないワタシです。


でも、


現任校の気配見ていると、「いらない」というのオイラだけだろうなぁ。やれやれ。