髪を切った私に

違〜う人みたい〜と〜♪


と、言われるほど短くなったわけではございませんが、
オイラの髪型いちいち気にする人、そうそういるとも思えませんが、


エンガチョ切った鍵かった。


じゃなくてぇ、


髪切った。正確を期するなら、切ってもらった。
先に切ったのが、ジュラ紀だったか白亜紀だったか忘れるほど太古の昔なのですが、恐らくは5〜6ヶ月以前のことだと思われる。


そして、


床屋とか理容院とか美容院やらに行っていない記録をまたぞろ更新してしまった。


アタクシ、もはや、床屋とか理容院とか美容院の利用の仕方を忘れております。
恐ろしくて、それらのドアをくぐることはもはやできないのではないかと思われます。


伸びたら切ればいーや。ちょきちょき。ま、そんな感じ。


色気づいていたティーンの頃はそれなりに、あーじゃこーじゃといじくっていたこともないではなかったのだけれど、
実はその頃から、単に面倒だからなかなか床屋には足を向けない若者だった。


が、オイラの通っていたガッコは、


襟足が制服の詰め襟にかかってはいけない。とか、髪の毛は耳に被さっていてはいけない。


やら、実にしょーもなくくだらないルールを並べ立てていて、


そんなルールはどーでもいーと内心思っている教師もいる一方、阿呆のようにルールを遵守させたがる教師もいて、なぜだかオイラは異分子異端児扱い、目の上のたんこぶとされていて、


「髪が長い」とか「制服の下に学校指定ではないシャツを着ている」というただそれだけの理由で、「オマエは学校の恥だ!」など言うて、ぶん殴ってくる教師がいて、そういう理不尽な暴力から身を守るべく腕で防御致したところ、殴り損ねたバカ教師は手を痛めたりして、それで尚一層、オイラに対する憎悪の念が掻き立てられたらしく、最後の最後までオイラはそやつから目の仇にされておったこと、髪の毛切るたび思い出す。


トラウマか(笑)


こやつ、数学の問題解くことは達者だったのかもしらんが、人間としては「クズ」の領域を一歩も出ないのであって、
オイラのような生徒から「クズ」と思われていることを省みず、オイラのような生徒を一方的に「クズ」と断じて排除することを己の職務だと信じて疑わなかった。
かてて加えて、生徒の保護者の職業や家庭環境を公然と蔑んだり侮辱したりする輩であって、情けないやら悲しいやらなのだが、思い返せば、同級生の中にもそういう輩がいて、そういう輩が教員からは優等生と見なされていたりするガッコではあった。


何がどう転んでそうなったかわからんのだけれど、因果なことに、かつての「クズ」と同じ仕事に就いたアタクシ、
時が移ってもやはり、たいした「クズ」だったなぁあの男は。と、思うのだった。


巷間、教育現場の荒廃とか、教員の質の低下とか言われておりますですが、
そりゃ、ま、今でも現場にはいろんな人がいるのではありますが、


三十数年前にオイラが通っていたガッコより、今のガッコの方が、人権意識という点においてはずーっとマシ。
どこがどう荒廃しているのか、どこがどう質が低下しているのかきちんと分析し、問い直して頂きたいものであります。


とはいえ、


教員の給与やら待遇劣化して、社会的地位も低くなる一方のこの職業、
管理監視ばかり強化して、安い賃金給与で働かせる現場に魅力があるはずもなく、


まともなニンゲンなら、やりたいと思わないだろう? という状況。


有能な人材は減少の一途、今後、教員の質の低下は必至。
一介の現場の教員であるアタクシにはどうしようもありませんのですが、
実感として、教員の知識教養のレベルは、目に見えて下がっている。


公教育のレベル水準を本気で上げたいなら、教員の給与待遇引き上げること。
どこかの首長様が言うように、競争が激しくなって、有能な人材が集ってくる。


知識豊富でアタマの回転だけ早くても、人間的に問題があったら困る。という声もありますが、
教養知識に乏しく、人間的に問題のある人が教壇に立つことの方が、余程危ういのではありますまいか?


って、今日は、


髪を切ったという話だったよな、確か(爆)