要るものと要らないもの
すでにして、いい歳をした中年でありますゆえ、
無用なものは持たぬよう、持ち過ぎぬようにしたいものである。という気持が働いていて、
持つべきものと持たずともよいものを、立ち止まって考える時間が長くなって来ている。
元々、世間の他人様とは別の形でしか働かなかった「物欲」というものも、日々、減少減退の一途を辿っている。
もともと、持たずとも構わないと考えていた「携帯電話」、
世間の趨勢に負け、持ち歩くようになって4年。まだ4年……(笑)。
未だに、なければないで構わないと思ったりもするのだけれど、
ひとたび持ってしまえば、それはそれ、機械の奴隷に成り下がらぬよう、自戒警戒する日々。
興味もあり、持てば持ったでオイラの場合、100%使いこなしてやろう、使いこなすであろうこと確実なのだが、
オイラの携帯電話利用料金、一ヶ月2千円台。パケット代上限にすればそうはいかない。パケ代上限にしなけりゃスマホにする意味もない。
ひと月に5千円超の料金を支払ってまでして、わざわざそれを持つ必要がオイラにあるのか? いや、ない。
という結論に達したので、
スマホに移行するのはやめにしました。
どーしてみんな、額に汗して稼いだ給料から、毎月数千円、ともすれば1万円以上の額を、たかがケータイのために使えるのだろう?
若者たちの多くは、稼ぎのほぼ1割を通信費に使っているようにも思われ……。
オイラの家に電話が入ったのは小学生の時。その頃、やっと庶民の手に届いた。
でも、電話をするのは必要不可欠な時、限定。しかも、その時ですら電話代のことを気にしながら喋っていた。
そんな貧しい暮らしだったけれど、
今の、この、殺伐とした、隙あらば他人の足を引っ張り、こき下ろして、嫌らしい笑みを浮かべているらしい凡夫たちよりは、
シアワセに、マトモに、日々を暮らしていたように思う。
自分にとって、本当に必要なものが、人が、
何なのか、
誰なのか、
じっくり、
ゆっくり、
考える時間や、知性が、
今こそ必要なのではないか?と、勝手に思うのでした。
はい。