ライブバーで飲もうよ
疫病退散っ!
ちゅこって、宵宵山なのだそーでしたが、毎年のようにこの時期に京都に行ってはいるものの、祇園祭を体験したことのないアタクシ、
本年も上洛。
道路交通事情、調べたけれどよくわかりませんにつき、早めに出かけたが、何てことなくいつもと同じような流れで到着。駐車場も、いつものところは穴場でもあるらしく、すんなり。
ちゅことでライブ・アット・夜想。つつがなく終了。無事、アタクシたちなりの厄落としも完了。
京都で、「夜想」で、ライブすると、
もーね、音楽やめられませんねん。困ったもんですわ。的、バンドマンとご一緒すること多いわけで、
そこで、見聞きし、知り合った人たちから「ケツを叩かれる」よーな気がすることが多い。
なんちゅーか、
他人様から「いいご趣味ですね」と言われて、わざわざ反論も説明もしないけれど、心の中で「趣味」でやってんじゃねーですけどね。
と思っているタイプの人々。と言うと、お分かり頂けるでありましょうか?
ま、わかんなくてもいーですけど(爆)。
そんな連中が集まって、夜な夜な「己の音楽」繰り広げているわけですが、
少数とはいえ、「夜想」には、
ココに来れば、プロではないが、趣味でやってるわけでもない音楽屋が、本気でやってる「よき音楽」があって、それを見聞きしながら酒を飲むことの楽しみを知っているお客さんがいるわけで、
とりわけ、「夜想」でよくお見かけする、明らかに昔からインディーズバンドマンの音を聞き続けている方々や、異国の女子などは、そーゆー楽しみを知っていて、それを求めて、ここにやって来るのであろうと想像するわけです。
「文化」というのは、演る側だけでは成立致しませず、こういう方々の下支えがあって初めて成立致すのでありますが、
ライブハウスやライブバー、至る所にうようよあっても、
ライブハウスを、ライブバーを、楽しむという「文化」が根付いているとは言い難く、
演り手の多さが、演る場を求めるという需要が過剰にあるから、演り手にノルマという名の代償を求めて、それを収入源として、ライブハウスの経営は成り立っている。
かくいうアタクシも、自身が音楽やるようになる前は、知り合いでもない素人が演奏しているライブハウスにのこのこ出かけていくようなことなかったニンゲンでありますから、偉そうなことは言えないのでありますが、
出入りするうちに、
「おー、この人の歌は、演奏は、機会があったらまた観たいです聴きたいです」という人、バンドがいるわけで、
日々、その人のバンドの歌や演奏を観るために聴くために、のこのこライブハウスに出かけていくようになったわけで、
アタクシどもの歌や演奏が、多くの人にそんな風に思って頂くには、まだあと何段か階段を上らないといけないんでしょうが、
ライブハウスやライブバーには、「聴くに足りないくだらない音楽」も氾濫しているけれど、「傾聴に値する音楽」もたくさんあるわけです。
そして、商業ベースでは、無数の「聴くに足りない音楽」が垂れ流されていて、それをiPodやらに詰め込み、日々入れ替えながら後生大事に聞いている人たちの方が多いわけで、
そーゆー人たちは、早晩、自分の人生のために「音楽」というヤツを必要としなくなると思うので、ま、どうでもいいですが、
音楽がないと生きていけない人は、ライブハウスに行こうぜー!
と、いうお話。
ちゅことで、
ノルマフリーで演者を呼んでくれる「夜想」の心意気には、いつもアタマが下がります。というお話。
そして、ここに来るたびに、
ノルマを科せられながら演奏者として音楽を演り続けるというのも、どーなんだろな?
と、思うというお話。
へてから、
終演後、対バンの"DAY BREAKERS"西山氏から、「豊田勇造さんに似てますよねぇ」と言われる。
横で、あきらさんも、「あー、そう言えばそうやなぁ」と、全てを知った哲学者のような顔で頷いている。
知る人ぞ知るフォーク歌手のようですが、その道に暗く、存じませず。
さっきググってみたら、「……」だった。
オイラに似ている人、音楽の世界にぎょうさんいるようで、
豊田勇造、ダイヤモンド☆ユカイ、日野 JINO 賢二
あとはどなたが似てますかいね〜?(笑)
などようのことありつつ、
帰路、「OOH-LA-LA」でライブだった"THE ITACHI"ご一行様拾って、下道で大阪まで、
共演だった京都のあきらさんから順に送迎。途中、ビールの過剰摂取により小便近い男子が大変(笑)という、遠足ドライブで夜は更けていったのでありました。
とっぴんぱらりのぷっ!