ボクが金持ちを嫌いなわけ

それ相当な貧乏所帯だったのに、
オレの親、息子のオレにありとあらゆる「習い事」をさせようとした。


「ソロバン塾」を皮切りに、「硬筆書道」に「毛筆書道」、「お絵かき塾」に、「スイミング・スクール」、「英会話」……。


ま、いわゆるひとつの「英才教育」のつもりだったのだろう。
教育の結果、末は博士か大臣にでもなれば、自分たちの老後が安泰だ。という計算を"本気で"していたらしく、その浅はかさを後に、当の息子から、情けないと思われるとは想像だにしていなかったようで、思ってしまった息子は今に至っております(笑)


なのですが、


今にして、「お絵かき塾」だけは、なぜ通わせる気になったのか、見当が付かない。
ひょっとして、オレ自身が「行きたい」と言ったのかも知れないが、すでにしてそんな記憶はない。


世の中には、いろんな分野ジャンルがあって、己は、どういう方面の才能があるのかしらん?
と思うこと、誰しもあると思うのだが、


大抵のバヤイ、ほとんどの人は、どの分野にも、そう大した才能はなかったりするのが普通なのであります。


それを昨今は、「キミには何ができるのか?眠った才能を見つけよう!」など、けしかけたりするものだから、多くの人が誤解と錯覚の元に、「自分探しの旅」に出かけて、そのまま帰ってこなかったりしているわけです(爆)


いや、話が逸れました。


絵の話。絵画の話。
オレは今でも、絵を描くのが好きだったり致します。会議の時など、暇になったら資料の余白にデッサンなどしております。
でも、才能がないことを知っております。強く自覚しております。


立体の陰影を、光と陰を、平面に線やら点で置き換えるという能力、鍛えればそこそこ身に付くとは思うのですが、
鍛えられなくても元々身に付いている者がいることを経験上、知っております。
オレには悲しいかな、そういう才能がありません。どんなに努力しても、元々そういう能力を身に付けている者には勝てないと思うのです。


世の中には、いろんな分野ジャンルがあるけれど、


やはり、


その方面の才能を生得的に獲得している者には、いくら努力しても勝てないのではないか?
ということを、「絵画」や「造形」ということに立ち返る時、痛感するのです。


で、今オレは、


公にあっては、言語による表現行為についてのこと、プライベートでは、音による表現行為についてのことをやらかしているのでありますが、


「言語による表現行為」については、並の他人様以上には、生得的な才能があったのかも知れん、と思っております。
「音による表現行為」については、生得的な才能はなさそうだけんども、好きだから何とかなるんじゃねーの?
という感じで、関わっております。


で、ありとあらゆる「習い事」をさせようとしたオレの親に話を戻すと、


「ピアノ」を習わせるということだけは致しませんでした。致してくれたらよかったのに。
いや、致されていたら、逆に、音楽を嫌いになっていたかも知れないから、致してくれなかったのがよかったのかも知れませんが。


そして、なぜ、「ピアノ」を習わせることを致させなかったのか、それに気付いた時、ちょっと悲しかった。


算盤や、書道の筆や硯や墨や、絵の具やパレットや、水泳パンツは、


それほど高くなかったんだけど、


「ピアノ」というのは、


とんでもなく、


高くて、


手が出せなかったんですよね。


理由は、たぶん、それだけ。


貧乏ってヤだね。才能があるかどうかすら、その手前でスポイルしてしまうんだから……。