センコーですが何か?
不謹慎な話だが、
若い頃は、「遊んで暮らしたい暮らせりゃい−な」と、思っておった。今でも思っているけれど(笑)、
「臨床心理士」になろうかしらんと入った大学では、「心理学」じゃなく「哲学」なんちゅの専攻しちまって、自ら世俗ちゅものからどんどんかけ離れていった。
とは言うものの、地主でも家主でもないビンボー人の息子であるから、左団扇でぷらぷらしていて金が入ってくるという身分でもない。
ちゅこって、
「遊んで暮らす」術として、
物書きとして何とかならんかしらん?とか、
音楽関係周辺で生きていけないものかしらん?とか、
役者になろうかしらん?とか、
たわけたことばかり考えているだけで、地に足の着いたことはなぁんにもしておりませなんだ。
文章書くの下手でもないし、好きなのだが、まともに作品のようなもの書くでなし、
音楽関係周辺といっても、専門的なこと学んだわけでなし、楽器操る技術があるでなし、
役者については、一旦はその道のほんの入口に足を踏み入れかけたが、
結句、
子供は子供の人生だから好きなことやって構わんよとは口が裂けても言わない、面倒見てくれ養ってくれというオーラを放ち続けている子不孝な親のパワーに節を折って、取りあえず、何か人並みに金を稼ぐ術を求めることになった。
が、それでも、できるだけ「遊んで暮らしたい」わが性根が簡単に、「バリバリ働いて金を稼ぐ」モードに切り替わるわけもなく、
テキトーな言葉を並べて購買欲を煽る宣伝屋広告屋は楽しそうかも知らん?
と、思ったが、腐っているといっても自分が興味のないモノを他人様にオススメするようなことできるような質でもなく、
新聞記者になるには、営業力ございませず、そもそも、新聞記者は遊んで暮らしているようには思えませず、
他人様の役に立つモノを作る能力があるわけでなく、
どーしたもんかねぇ?と思っていた時に、
免許取得するための単位、ほとんど取得してない癖に、冷やかし半分で、「教育実習」ちゅのに行ってみたのであった。
実家とは遠く離れた大学が、そこに行けばと斡旋してくれた、まーったく知らない高校に2週間。
実は、女優の鈴木京香さんとニアミスしていたようだが、そんなこととは露知らず。
で、その2週間が良くなかった。ちゅか、良かった。
どっちやねんちゅ話だが、
いわゆるひとつの「教師って、遊んで暮らしてるに近いんじゃないの?」と思ってしまったのであった。
だもんで、取る気のなかった「教員免許」ちゅの取るために、卒業1年伸ばして余分に大学に行った。
さしたる勉強もしてないのだから通らんだろうと思った採用試験に、なぜだか通った。
(こっちは国家公務員試験と同じくらいに思っていたのだが、きっと、レベルが低かったのだと思われる)
で、何だか知らんが「教師」になった。
教師にでもなろうかと教師になった。教師にしかなれなかったから教師になった。「でもしか」ですが何か?
「金持ちにはなれんが、楽しく遊んで暮らせるかも知らん?」と、思った。
のだが、冷静に考えてみりゃわかるのだが、オレの考えは甘かった。
「高校」というヤツ、教育実習に行ったようなガッコばかりではないのである。
ちゅか、そんなガッコは、ほんの少数なのである。
授業に教科書もノートも持ってこなかったり、人の言うことまったく聞く耳持たなかったり、ヤンキーばかりがオラオラしていたり、勉強やる気さらさらなかったり、やる気はあってもできなかったり、勉強できるならできるで、偏差値の上がり下がりに一喜一憂、教師も生徒もヒステリックになっていたり、職場の人間関係ドロドロだったり……、
で、
金持ちにもなれず、あまり楽しくもないまま、遊んで暮らしているという実感もないまま、20数年、やれやれと思いながら仕事してきたのでありますが、
ここに来て、
今度の職場って、そこに行ったことで、大いに道を誤ることになった、あの、教育実習に行った高校にちょっと似てるかもしらん?
と、思うのです。
ガッコの名前も似てますし(笑)
ちゅことで、
今までの職場の方々には申し訳にゃいのですが(笑)、
アタクシ、「ちょっと遊びながら」暮らしております。
ま、公教育の現場は激動の時代でありますから、いつまで「遊んで」いられるかはわかりませんのですが、基本的に、キモチのよいガッコですぜここは。生徒らが羨ましいわ。オレが生徒になりたいわ。
取りあえず、遊びながら、オレの持ってるモン知ってるコトは、ぜーんぶ吐き出すつもり。
ゲロゲロゲー(爆)