聞いて呆れる教育改革

本年度の大阪府公立学校教員採用選考の志願者が千人以上減ったという話。
昨年度も合格者のうち、13.4%にあたる308人が内定を辞退したという話。


本府の元首長、その道はドのつく素人であるにもかかわらず、教育にあーだこーだと口出しし、「大阪の教育を変える!」と掛け声勇ましく、現首長も考えなしにその流れに乗っかって、損得勘定しかしていない風見鶏な政治屋が人気者のお先棒担いで騒いでいる。


内定辞退者の増加、志願者の減少の原因について、
知事の教育行政への関与の強化、教育基本条例の成立が関連しているのではないか?と指摘する声もある。
など、新聞紙上には悠長に書いてあるが、


その実態は簡単明瞭。


辞退者の増加・志願者の減少の主たる理由は、どこの都道府県よりも大阪府の教職員の給与水準が低いからであるからに他ならない。


大学新卒で教員として大阪府に奉職し現行の定年60歳まで勤続した場合、現状のままだと、給与水準の高い他府県に比べて、生涯賃金に3000万円の開きがあると試算する向きもある。


誰が好きこのんで、安月給を選択するというのか?


教育を変える、改善するというなら、教育の担い手である教員の水準を上げることが必須なのは、サルでも分かる。


かつては、とりわけ高等学校という場所においては、


高い能力秘めてはいても、経済動物としての貪欲さに欠ける世を拗ねた連中が、
「教師にでもなりますか?」「教師くらいにしかなれんし」と、「デモシカ」で教師になっていた。


が、「デモシカ」でなるにも採用枠すらない少数精鋭の時代を経て、今は、団塊の世代の抜けたあとできた大きな穴を、


かつては、その知性知力じゃ、採用されなかっただろうな。という人々が埋めている。
地元は競争率が激しくて採用されないから、という流入組が採用者の多数を占めるようになって来ている。
上の言うこと素直によく聞き、聞き分けはよいが、自分のアタマでモノを考えない者が増えてきている。


安月給を選択するには、選択するだけの理由がある。


無論、教育というのは「学力」だけでは語れない。
にしても、基本的な「学力」に「?」がつく者も、教員として実際に採用されている。採用せざるを得ない状況になっている。


社会的立場が地に落ち、賃金もカットされる一方の、
そんな仕事を誰がする? そんな現場が、どうして良くなる?


誰かさんに何かを期待している人々、


いつになったら、どうなったら、気づくんだろな?


自分たちの首を自分で絞めていることに……。