だんだんわかった

っちゅタイトルの、チャボ・仲井戸麗市氏のエッセイ集ありましたが、


職場替わって、


だ〜んだんわかってきた。


進学校など言われるトコロ、初めてじゃねーんですけんども、
かつて在していたトコロとは、なんだかやっぱりどこかが違う。


ま、そりゃ、別のガッコなのだから、違っていて当たり前っちゃ当たり前なのですが、


そこはかとなく生徒たちが幼く見えるのは、


オレが歳を食ったからか……。と、思ったりもしたが、
どうやらその因が他にもあることに気付いたのだった……。


今回、共に働く職場の同僚のみなさんの中に、


生徒に向かって、己のこと自身のことを、


「先生」


と、呼ばわる方が目につくのであります。


「小学校」じゃなく、「中学」でもなく、「高校」でっせ、ここ……。


オレは自身のことを、生徒に向かって、


「先生はなぁ……」などとは、口が裂けても言いません。言えません。
何よりも、口が裂けたら痛いです。授業はおろか、歌が歌えなくなります。


ちゅか、己のこと「先生」とか言うて恥ずかしくないのかしらん?


オレは死ぬほど恥ずかしいわ。


高校ん時、大卒新任の数学教師が自分のことを「先生」と呼ばわるので、みんなで寄ってたかって、「それ、みっともないから止めた方がいいですよ」と教えてやったものであります。


生徒たちもきっと、己のことを「先生」と言う人たちのことを、それほど恥ずかしいことだとも思わず、見咎めることがないんだろうと思われます。


だから、そこはかとなく、全体に幼い感じが漂っているのでありましょーな。


ま、


教師のことを「オマエ」とか「アンタ」呼ばわりする生徒が跳梁跋扈しているガッコよりは随分マトモだとは思いますのではありますが、


対生徒には、いつでもどこでも、ひとりの人間として、


「僕は」、「俺は」、「私は」で行きたいものであります。


そして生徒たちも、高校生ともなれば、自分のことを「先生」とか呼ばわっている人のことは、「この人、ちょっと恥ずかしいなぁ」と、思って頂きたいものであります。


にょ〜い。