卒論が「反核」だった
しつこいようですが、
書き足りない。というか、言い足りないため、昨日の続き。
この期に及んで、「反原発」やら「脱原発」を唱えている人、国民の7割強に及ぶそうですが、
なぜ、みんな、
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故の時には、同じことを言わなかったんだろう?
被害者が少数だったから?
被害にあった人の側に非があると思ったから?
自分には直接関係がなかったから?
そもそも、そういうことがあったことを知らなかったから?
だとしたら、今、「反原発」やら「脱原発」口にするのはいいけれど、恥ずかしそうに言って頂きたい。
あなた方が他でもない、「原発」を推進してきた当事者なのですから。
そもそも、
「核のゴミは誰にも管理できない」という大前提を、
誰一人として解決解消する術を持っていないということを、みんな知っていないのでありましょうか?
誰かが「何とかしてくれる」、或いは「する」と思っているのでしょうか?
少なくとも、誰にも何ともできていない今、未来に向けて、途轍もなくどうしようもない危険極まりないゴミを日々吐き出しながら平気でいられるそのことが、オレにはどうにも理解できません。
大学時代の友人知人のあれこれは、
この地球上に生きる人々の、ほんの僅かの者だけが享受し消費するためのモノドモを拵える仕事や、
国が国民から巻き上げた税金使ってほいほい買ってくれる戦闘機やら戦艦やら武器やら兵器やらを拵える仕事やら、
そういうモノドモがもたらしてくれる夢を語って購買意欲を煽る仕事やら、
自らが信じてもいないプロパガンダを垂れ流す仕事に就いたのだけれど、
オレは、なんだか、どうにも、そういうことに人生の時間を費やす気にはなれませず、
そんなのは理想に過ぎないと笑われるかも知れない、
「平和」や「自由」や「平等」というのを、
若者たちに説き続ける仕事をしながら今日に至るのですが、
それが、なかなかに、孤独な闘いになって来ておるわけで、
ニンゲン、所詮は自分御大切。
戦中戦後の教育現場がどんなだったかが、わかるような現状の中、
国家のために死ぬくらいなら、自由のために死んだ方がマシだよな?
など思ってるオレは、バカですか? バカなんだろな、きっと。