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3.11以降、
「絆」とか、
「ひとつになって」とか、
「力を合わせて」とか、
「この国は強い国」とか、
きな臭いと思っていたが、そのきな臭さは収束するどころか、
この期に乗じた国威昂揚、国旗国歌の賞揚強制。
かてて加えて、
先の大戦が避けられないものだったというのならまだしも、必然だったという声も大きくなって来て、
従軍慰安婦や南京大虐殺は、この国を陥れようとする国や勢力の虚妄誇張であると主張する人が、その立ち位置を奪われるどころか、支持されるような状況になっていて、
脱原発を唱えるその一方で、憲法を改正(改悪以外の何ものでもないけれど)して、自衛隊は軍隊として、核兵器も自ら保有しようするべきだという声も、
当たり前のように聞こえ始めている今日この頃。
"One for all. All for one"という言葉があるけれど、
この言葉の"All"って、
自分と自分の回りのことだけなのですか?
自分の属している家族や組織や地域やこの国のことだけなのですか?
独善的な"All"を叫ぶのやめませんか?
目の前にいる己の気に入らない存在が、独善的だと思うならば尚更、
己が独善的になるのはやめませんか?
気に食わない人も含めて、"All"だと考えるところに立ち返りませんか?