腐ったリンゴ

今年度も終わりに差しかかり、
我が職場、難題山積。崩すより積まれるスピードの方が勝っている。


制度やシステムは現場の状況に追いつかない。現場の状況を世間は知らない。
貧困が悪いのか、無教養が、無知がそうさせるのか、無責任が何に由来するのか、


普通に生きようとしても、生きたいと思っても、そうさせてはもらえぬ状況環境に置かれた10代の群れを前に、


会議に告ぐ会議を経ても、出口は見えない。
十把一絡げに「学校教育」を語る世間や政治に鼻白む。


想像力だけで補えないリアルは、当事者にしかわからない。
オレにしたところで、当事者にならなければわからなかったことが多い。


深い「孤独」を抱えていながら、そこから目を背け、同じような仲間と「群れる」ことで、「繋がる」ことで、上辺だけの、刹那的な「幸福」を手にしようとする10代に、


「孤独」の正体や、そこから逃れる術を教え伝えるのは至難。


この国は、社会は、確かに疲弊し、底の部分から壊れかけている。
そして、浸食は広がっているように思う。


「競争」が不要だとは言わない。
しかし今、「競争」を煽るなら、すべての者を同じスタートラインに立たせることから始めなければならない。「平等」を幻想に終わらせてはならない。実態のない「自由」を説いてはいけない。


壊れたもの、腐ったものは、使えるもの使えるところだけ要領よく使って捨ててしまう方が話が早い。


そう遠くない昔の、そんな時代の足音が、日々近づいていることを実感せずにいられない。


青いリンゴを腐らせないようにする。
オレは、そういう仕事をしている。してきた。


そのオレが、腐ったリンゴと呼ばれる時が近づいている。


悲しいけれど。