原発ジプシー
職場の年若い同僚の机に置いてある本に目が留まった。
堀江邦夫『原発ジプシー』
「これは?」と聞くと、
「原発労働者として各地の発電所で働いたノンフィクションライターの記録です」と。
1979年刊行の本。
鎌田慧の『自動車絶望工場』は知っているし読んだが、3.11があって復刊され話題になっているらしいこの本のことを知らなかった。
同僚の机上にあるのは、復刊本ではなく、1979年版。
ココの図書館にありました。と。
同僚は読了したようなので、そのまま借りる。
オレが原発に反対する最大の理由は、
事故の可能性もさることながら、廃棄物の処理の問題もさることながら、
誰かの健康や生命を犠牲にしながら動かすことを前提にしているシステムであるから。
強制ではない。彼らは自らの意志でそこで働くことを選んだのだ。そして、いつの時代もそこで働くことを選ぶ者はいるのだ。社会とはそういうものだ。
と、オレは思わないし、思えない。
著者が原発関連企業の下請け孫請けの労働者として、何を体験し、何を見聞きしているのかを知っていてなお、選んだのは彼ら自身。問題ではない。
と、オレは言わないし、言えない。