国でなく人を語ろう

ウチの職場は他に類を見ぬ「多国籍」。
帰国&渡日生徒を多数受け入れている。
日本に来て間のない者、日本に来た直後の者も少なくない。


基礎学力・学習意欲が高くても日本語能力のない者を、いわゆる進学校は受け入れない。
受け入れ枠もないし、一般の入試で受検しても日本語ができない中、テストで高得点を取ることもできない。
ウチには、受け入れ枠がある。枠外の一般入試で受検してもレベルが高くない分、合格できる可能性が高い。


そして、入学した彼彼女らに対して、ウチの職場はとても手厚い。


当初は、残留孤児の帰国に伴う児童生徒の受け入れが多かったため、中国系が大半だった。
昨今は、時代の流れを反映して、中南米や他のアジア諸国からの移住者の児童生徒の割合が高い。


中国、韓国、タイ、ベトナム、フィリピン、ネパール、イラン、ブラジル、ペルー、コロンビア、ボリビア、and more...


無論、学力が高く学習意欲の高い者ばかりではない。中には、一般生徒同様、或いはそれ以上に生活態度や素行に問題のある者もいる。


日本人も外国人も玉石混淆、人種のるつぼ。


だから、この世には日本人であれ外国人であれ、いろんなヤツがいて、中には信じられないようなヤツもいて、くんずほぐれつしていることを日常的に目にしながら関わりながら生活している。


のだけれど、


考えてみれば、この国の人々の多くは、同じ肌の色目の色で同じ言葉を話す人間の中でしか生活していない。オレにしたところで、今の職場で働く前はそうだった。


知識と理性と想像力で、ある程度は補えるとはいえ、
自分の目で見、自分自身で関わらないとわからないことというのはある。


「普通の」学校に通い「普通の」社会に出て行く者の多くは、この国にそういう世界や現実があることを見ていないし知らない。


知らない者に限って、「中国人って……」、「韓国人って……」と、十把一絡げにして語りたがる。そして、そういう発言は、見当外れな偏見や差別意識から発せられたものであることが多い。


この国にあって、日本語ができない人々のことを揶揄して語る話をよく耳にする。来て間もないのに言葉ができないのは当たり前。なのだが、それを笑い話として語りたがる。何が面白いのか、オレには全く理解できない。


先日も、どこかの店で働く中国人がおかしな日本語を喋り、それがいかに面白かったかを滔々と語っている若者がいた。その話を聞いている仲間は、一緒になって笑っていた。


そして、そういう話を面白がる連中は決まって、まるで自身がその代表であるかのように「日本人」の優越性を説き始める。


中国製品の粗悪さについて。なんでもコピーする商魂の逞しさについて。日本のアイドルグループのコピーが登場しているが、可愛くないし歌も下手だし踊りも見ていられないことについて……。諸々諸々。
事実、そういう傾向はあるのだろう。だが、ひと昔前の日本が日本人が、欧米各国からどのように見られていたのかという視点が、そこにはまるで欠落している。
日本人の作るものは品質が高く、芸能の分野でもクオリティーが高いと語る若者たち。


そういうあなたたちは何を作っているの?と思いながら、
そんな会話を黙って横で聞いていたオレは、そういうニンゲンがオレと同じ「日本人」であることを恥ずかしく思っているのだけれど、彼らはどうやら「日本人」であることを強く誇りに思っている。


多くの人々にとって、「日本人の誇り」というのは、どうやら、他の国の人々や他の民族を蔑視することで成立するものであるらしい。


今、躍起になって、そういう「誇り高き日本人」を作りたがっている人々がいるけれど、心配しなくても、そういう「日本人」は、若者を中心にして着実に増えていますよ。


悲しいけれど。


多国籍なウチの職場の文化祭、
ステージも、模擬店も、他に類のない多国籍。


「日本人」もいろいろ、「外国人」もいろいろ。
くだらんヤツもいれば、ステキなヤツもいる。


どうせ語るなら、


国を語らず、人を語ろう。