楽しい夏休み

かつて、


オイラの仕事というものは、いろんなところで


「牧歌的」であった。


強迫的に誰かに何かを強いたり、誰かをどこかに追い込んだりする愚か者がいないわけではなかったが、


総じて、


  いつまでに何をどれだけこなさなければならん。


とか、


  目標値呈示して、その達成に向けて尽力せよ。


とかいう「縛り」や「くびき」は、ほとんどなく、


ゆるく流れる時間の中で仕事をしていた。


夏休みの教員は、自宅で扇風機の前に転がって、夏の読書をしていたものだった。


のだが、


会社勤めではおいそれとはいかない日程でいそいそ旅行に出かける浮かれた姿や、平日に結構デカイ自宅前で優雅に暢気にマイカー洗ってる姿見るにつけ、


野球選手や相撲取りにシーズン・オフがあることは許せても、学校教員にシーズン・オフがあることを世間・世論は許さなくなり、


定時定刻に出勤して、昔はなかったタイムカードをスリットした教員は、昔はなかった、なくても一向に構わなかったエアコンの入った部屋のデスクに座り、キーボード叩いて、本来はやらんでもよい仕事をしてみたり、特に仕事もないのにしている振りをさせられるようになった。


教員のそういう状況状態が、世の中のコドモや青少年少女にとって、いいことかどうか、


監視や管理や拘束に慣らされたオトナの育てる人間が、どんなオトナになるのか、


かなり頭の悪いヤツでもわかりそうなものなのだが、


「他人様が自分より楽をしているように見えることは許せない許さない」


という集団ヒステリーが世論という圧力となって他人様の首を絞め、ひいては自分自身の首も絞めている。自縄自縛。


そういう口が、「ひとつになってガンバロー!」とか言うておる。


誰がオマエらなんぞとひとつになるかっつーの。