俳句教室

今朝も今朝とて、高校球児たちのとんでも川柳。


  ラストサマー 関わった方に 恩返し
  声援が 流れを変える ファインプレー
  熱い夏 仲間がいるから 頑張れる
  休みなく 毎日練習 おつかれさん
  暑すぎる 走り込みだけは 勘弁を
  4番が 1発打って 逆転だ
  この一投 唯一無二の 一球なり


酷すぎる。交通標語以下。名誉のために校名は伏せおく。
高校球児は、空っぽアタマで野球だけやっていればよろしい。


そんな中、まだマシだと思ったのが、星光学院の作品。


府下で最もお勉強がおできになる高校だっつーのが、こーゆーのでも、やっぱ偏差値関係あるわけか?と、嫌気さすが、


  言わずとも 全てを語る 手のひらが


というのが、その作品。


しかし、これにしても座りが悪い。だもんで添削してみる。


まず、「言わずとも」は必要か?
取り去ってみると、「全てを語る 手のひらが」となる。


それだけでも、言いたいことは十分に伝わる。


ということは、「言わずとも」は、いらない。いらないものはカットする。


残った七・五を生かす。


  手のひらが 全てを語る ………


とした方が、世界に広がりが生まれる。


けれども、


「手のひらが」の「が」は、単に主語を示しているに過ぎず凡庸。「が」を「の」に替えてみる。


  手のひらの 全てを語る ………


「が」同様、主語を示す助詞ではあるが、文語体にすることで落ち着きと余情が生ずる。


また、「手のひら」だが、これには歴とした「掌」という字がある。


  掌の すべてを語る ………


としたい。「手のひら」を一文字の漢字にした代わりに、「全て」をかな表記にしてみた。


さて、「掌」は何を語っているのか? なのだが、


それを説明する必要はないと思われる。球児の掌が何を語るのか、それは読み手のイメージの世界に委ねればよい。


ということで、「………」の箇所で、語るものの内容を説明する必要はない。
「………」には、掌が何かを語っている「状況・シチュエーション」を描けばよい。


暑苦しい十代の高校生を演出するなら、


  掌の すべてを語る 俺の夏


あたりが若書きでよろしいのではないかと思うが、高校球児が自身を新聞紙上で「俺」と称するのは憚られるかも知れない。
「の」の積み重ねが少々うるさい気もしないではない。


ということで、


  掌の すべてを語る 草いきれ


と、まとめてみたい。グラウンドに照りつける日差しや匂いを感じませんか?


ま、こんな句ばかり並んでいたら、


それはそれで気色悪いっちゃ悪いんですけどね〜。