金は必要だが……

先の見えなかった学生時代、


「心理学」やるはずが「哲学科」だったアタクシ、いずれにしても、


この先、何やって飯食ってくのか?ということが当面の課題だったのだが、
「企業戦士」になる気さらさらなく、できれば遊んで暮らしたいと考えておって、


ベンチャーなんたらなどようの方面の才覚皆無であるし、
右のものを左に、あちゃらのものをこちゃらにただ動かすだけで金が動くなんちゅ虚業には興味もなく、


 金は必要だがすべてではない!


のだが、選択肢というものがほとんどなかった。


取りあえず、出版社とか広告屋とか新聞屋(販売店じゃないよ)とかテレビ屋(家電販売店じゃないよ)なら、何か作ったり拵えたり文章書いたりするので、まだ楽しいかも知らん。などと不埒なことを考えていたが、


東京行きの金すらなく、「刻苦を厭う怠惰」な性情も災いして、会社訪問なるもの致したの僅かに数社。こんなやる気のないヤツ、採用されるはずもない。


なのだが、振り返ると、あの日あの時あそこで流れに乗ってりゃ、
テレビ局か新聞社か広告屋に紛れ込めていたんじゃないかな?とも思う。


思うのだが、今、そこにいなくて良かったな。とも思う。


くだらないクライアントにペコペコ頭下げて集めた金で番組作ったり、
スポンサーの顔色窺って、言いたいこと書きたいこと書けなかったり、
ぜんぜん推奨できないしたくもない企業・商品のCM拵えたり、


そーゆーことどもと日々格闘葛藤し、人生の時間の大半を消費するのは、


たとえ高収入と引き換えでもヤダね。


やんなくて良かったと思う。やったとしても続いてなかったと思う。


だって、オレ、原発推進CMとか作りたくない作れない。


途方もないギャラ積まれてサンドイッチマン買って出た恥知らずなタレント、文化人もさることながら、だぁれもそのCMを拵えた広告会社責めたりしないのが、不思議でならない。CM拵えた広告会社にも相応の責任はあるだろうあるはずだ。
ある時は反原発、またある時は原発推進。なぁんてことやりながら世間の風向き窺いつつ生きてるのが広告業界


関わりたくない企業並べ立てたら、残る方が少ないかも知れぬ。
オレには勤まらん。


かといって、今がよかったのか?と言われると、


良くないけどさ……。


職場の異動は、単なる配置換えを超えて、転職のよーなもんだったし、
くだらねぇ行政の圧力とも闘わにゃならんし、一緒に闘う連中は日に日に少なくなってくし、
この歳になって、給料こんなに安いまんまそのまんまとも思ってなかった。


あー、遊んで暮らしてぇ。


サイコーのライブバーを拵えてやるからさー!
誰か、ギブ・ミー・マネー!(笑)


 金は必要だがすべてではない!


ん〜、すべてかもぉ〜?