バンドマン的教育論

バンドマン、一夜明けて職場。


年度替わりで、新旧入り乱れてみなドタバタ。
東北にまたぞろデカイ余震があったこととか、原発のその後とか、まるでカンケーのない世界。


オレがライブやった日に限って、デカイ地震起こってるとか、まるでカンケーのない世界。


脳内の7割バンドマン、2割職業人、1割生活者のオレ、


地震津波原発も、オレたちにカンケーなくねーぞと思いながら、
テキトーに茶々入れつつ、オレがやらなきゃ誰もやらん仕事片付けながら、皆が何を思いながら仕事してるのか、周囲見渡すと、


目の前に与えられた仕事こなすのにくたびれている者あり、
不安にかられてか、今直ちにする必要のない仕事に勤しむ者あり、
今直ちにやらなきゃならんが、一筋縄では片付かない仕事前にして眉間に皺寄せる者あり、
取り立ててやらなくてもいーことのように思えるのだが、ニューフェイスに、あーだよこーだよと指南する者あり。


そんなオレ、誰が選んだか、職場じゃいわゆるひとつの「主任」というヤツで、
周囲にあれこれ指示指図せにゃならん、してねと言われる立場なのだが、


したり顔して、これはこーしなさい、あなたはあーしなさいとか言うのは好かん。


それは、オレ自身が若造であった時でも、周囲から、あーせーこーせー言われるの嫌いなヤツだったからに他ならない。


デキるヤツは、あーだこーだ言われなくても周り見てデキるよーになる。
デキないヤツは、あーだこーだ言ったところで、結局はデキるよーにはならん。
デキないヤツでも、わかってるヤツ見極めて、わからんことを訊ねる力あれば、そこそこできるよーになる。


一方で、素直だが自分のアタマでモノを考えないヤツは、親切だがバカなヤツからあーだこーだ指南されると、バカになる。


「教える」というのがオレたちの仕事なのだが、
「教える」ことの本質は、「押し付ける」ことではなく「考えさせる」こと。


デキると言われる若者に対して行っている昨今のガッコの教育、
ほとんどが「押し付け」。どーやって押し付け刷り込むかの技術技量が問われている。
教えられる方もまた、受験なんてぇの前にすると、回り道嫌って、いかに効率よく刷り込み刷り込まれるかを期待するよーになる。


だからいきおい、自分のアタマでモノを考えない連中が増殖する。
それが、効率の良い刷り込みによって、そこそこの大学に入ったりするから、インテリでございって顔になる。


原発はこの国の発展のために必要だったし、これからも必要なのです。
今回の事故は想定外の上の想定外だったのです。
事故というのは常に、想定の範囲を超えて起こるものです。
起こったことは残念ですが、その被害を最小限に食い止めるための仕事に身を投じている人たちがいます。彼らの勇気をみんなで讃えましょう。
今回の事故を教訓として、今後、原発の安全は一層強化されるに違いありません。
みんな、ここが踏ん張りどころです。がんばろう日本!


などいう言説に倚りかかり、利用しようとしているのは、すべてそういう輩。


斉藤和義氏が自らの楽曲「ずっと好きだった」に反原発の詩を載せた、「ずっとウソだった」という替え歌を、ギター1本で歌っているビデオがYouTubeに流れている。所属するレコード会社が削除申請しているらしいが、一度流れた動画は消えてはUPされ続けるいたちごっこUSTREAMで生中継した震災支援ライブでもやったってーから、確信犯。


この節、教師よりバンドマンの方が、自分のアタマでモノを考えてるかも知らん。言ったことの責任を負う覚悟あるよーだし。


何が平和利用なものか。原発の暴走を食い止めるため身を挺して働く人たちもまた原発の被害者。核などいらねー。原発はいらねー。


ついでに言うと、遺伝子操作の動植物もいらねー。


さーみんな、ご一緒に。


核などいらねー! 原発はいらねー! 遺伝子操作もいらねー!