帰らない日々

かつて、


オレの働く「ガッコ」という職場では、


「春休み」というのは、


そこに勤務している者にとっても、


時間割拵えたりせにゃならん、ひと握りの者を除いて、


日々の労働から離れ、


一年の間に溜まり澱んだ澱のようなものを洗い流し、リセットする時として機能していたのだが、


今や、


そこに働くすべての者どもが、何かに追われるようにあくせくせにゃならん、


そんな時になってしもうた……。


暑い時、寒い時、時節の移り変わりには、


心を、体を、休めよう。休みなさいという、


基本的なことが失われ始めてから、


「ガッコ」というものを、利潤利益を追求する企業と同じように、


目に見える成果や結果ばかりを、重視したがるようになってから、


「ガッコ」というのは、どんどん「あかん」場所になっている。


そして、


人はみな、「ガッコ」というものを通過するわけだから、


ニンゲン、ダメにならないはずがない。


金儲けの効率だけ重視して突っ走るところでは、何かが壊れる壊される。


無駄に思える時間は、ヒトを育てる。


音楽や、文学や、絵画や、彫刻や、映画は、


金を落とすから価値があるのではない。


金のならない木にこそ、真実という実が成っている。


でも、


金のならない木は無価値の烙印押され、伐採されて、


今では探すのがとても難しい。