いつものように
昨日から、
いつものようにしていた、しているオレがいて、
いつもとはかけ離れた不意に訪れた窮境に右往左往していた、している人がいる。
「対岸の火事」という言葉がある。いい言葉だとは思わない。
けれど、
ニュージーランドの地震は、親族身内知り合いのいないこの国の人にとっては、さほど関心の高い出来事ではなかった。
東北・関東で起こった地震は、親族身内知り合いがいる者は無論のこと、知人知り合いのいない者にとっても、関心は高い。
"twitter"のつぶやきの数々眺めていて、
こんな時、自分に何ができるのか、何かしたい役に立ちたい、と考える人々の多さを素晴らしく思うのだけれど、
どこで、誰の身に起こったことなら、人は動こうと思うのだろう?
どこから先になると「対岸の火事」になるのだろう?
家族?親戚?仲間?村?町?市?都道府県?国?
かつて住んでいたことのある街と、そこで出会い、そこにまだ住む人、今はそこを離れたが、関東周辺に住む知人のこと思う。
仙台市若林区には知人の実家あり。
すぐそこに海の見える潮の匂いのする場所。普段やりとりある人でなし、わざわざ安否問われても却って迷惑だろうと連絡は取らず。
福島第一原発1号機爆発の報聞いて、さすがにこれはと、福島にいる友人にメール。すでに新潟に避難したこと知って安堵する。
チェルノブイリの再現を恐れたが、何とか回避されそうな気配。
にしても、取りあえず、原発の稼動増設やめて欲しい。切に願う。
それによって電力不足し、不便強いられることになっても、オレは耐えるよ。
そんなこと思いながら、オレはいつもの土曜日。対岸の人。