コトバは世につれ
商売柄、「コトバ」のことは気になる質ですが、「コトバ」は変化するものだとも思っておりまふ。
「独壇場(どくだんじょう)」は間違いで、「独擅場(どくせんじょう)」が正しいと主張する気は、もはやございません。
「ら抜き言葉」も、話し言葉のレベルにおいては、もはやどうこう言っても仕方ないと思っております。
なのですが、
「捨ておけない」ことどもも、またございますわけでして、
よく見聞きする、「恥ずかしいだろそれ」ってゆーヤツの筆頭が、
「うる覚え」。
何やねんそれ。「うろ覚え」でしょうがね。
でもって、「ふいんき」。「雰囲気(ふんいき)」だっしょ!
これを目にしたり耳にしたりする度、こちらが恥ずかしくなる。
目からでなく、耳から誤って覚えたんだろな、きっと。
昔から、「コトバ知らず」の輩のせいで、こちらが恥ずかしい目に合うことが結構あって、
中学校の時に書いた部誌に載っける作文、
「〜することもままあるわけで」と書いたら、
いつの間にやらどこかの馬鹿が「まあまああるわけで」と校正して、そのまま書いた当人に確認もせぬまま印刷に回した。情けないったらありゃしねぇ。
てなことは、
カミさんがかつて勤めていた翻訳系の会社でも「ままあった」そうで、
「〜への思いはいや増すばかり」という翻訳が、タイピストによって、
「いやいや増す」に替えられていたり、
「けだし」が「はだし」やら「わたし」に、「ややもすると」が「やあやあもすると」に、なっていたりしたらしい。
「十回の表」や「モーゼの十戒」や「十階のモスキート」を、
民放のアナウンサーにしてからが「じゅっかい」と発音している今、「じっかい」が正しい発音なのですぜ、と言っても詮ないことわかっちゃいるのではありますが、
文化審議会だかなんだかが、「じゅっかい」も正解ということに致しましょうと言ったのも仕方ないねと思うのだが、
「知らない人」によって「コトバ」が変わっていくってのは、
「無知蒙昧な人」がよってたかって、「世の中」を変えていくのと似ているような気がして、
なんだかウザイ。
あ、「うざったい」が正解ですよ。 はい(笑)。