教育はサービスか?

バンドマンのくせに、音楽の話しばらくしてねーのですけんど、


オレの本業、教師というヤツで、


かつて、その仕事を「教師はサービス業だ!」とほざきこいたバカがいて、そやつは今、教頭などいうものをやっているのですが、


そーゆー輩が管理職などやっているから、今の教育界はダメなのだと心の底から思っておりまふ。


「サービス」という言葉には、色んな要素含まれているのであるけれど、


先の輩の言う「サービス」は、生徒&保護者の望んでいることには応えてやらねばならぬ、可能な限りにおいて。ということであって、突き詰めると、そういう輩がのさばったことによって、教育の世界は堕落の一途を辿り、今も尚辿っているのであります。


「教育」というのは、「学びたい」と思ったことを「学べる」ように必要最小限のアシストをしてやることであって、首に縄付けてどこかに引っ張っていくことではありません。
なのですが、生徒&保護者の短絡にすぎる要求欲求に従って、どこかに引っ張って行くと、それはそれ、引っ張って行った側にはそれなりの達成感なるものがあり、引っ張って行かれた側にも「おかげさまで……」などようの感謝があったりして、「めでたしめでたし」なんてこと双方共に思ったりするから、たちが悪いのだが、


生徒という、若くて脆弱な生き物が、自分の頭で自分の生き方考えるのをアシストしたかどうかは、そこでは実はないがしろにされていたりするわけで、


自分の頭で自分のこと考えなかったヤツが、ロクなヤツになるはずはないのであります。


そーゆー、保護者&生徒の希望はただひとつ、


「他人様より偉くなりたい。シアワセになりたい。金持ちになりたい」ということに尽きるのだから。


「教育」ってのは、ともすればそんな風に流され考える人間に、


てめぇが良ければそれでいーんじゃねーだろ、タコ。万人の幸福、公共の福祉ってのを具体化具現化すること考えるよーになりんさいよ。


と、その鍵を与えて、突き放すことなのです。


にもかかわらず、


くっだらねぇ目的抱いて邁進しているヤツらのエゴイスティックな欲望満たすそのために、「教育はサービスでござい」など言って憚らないヤツらが、くっだらねえ人々を日々生産しております。


「教育はサービス業だ」という愚かな考えが、本来は不要なはずの、意味のない過重な労働を強いてきて、教育の世界は果てしなく疲弊しておりまふ。


教職員がバタバタ疲弊しているところで、まともな人間など育つわけなどありませぬ。


教師が忙しくすればするほど、人間は育たない。
教師が暇であればあるほど、人間は育つ。


教師が過労死したり壊れるような現場で、人が育つわけがない。


休日も、クラブ活動の指導付き添いに明け暮れている教師、
早朝放課後土日にも、補講だ講習だと駆り出される教師、
朝昼晩と、問題行動の対応対処に東奔西走する教師……、


嬉しがって自らやっている者であれ、仕方なくやっている者であれ、


こーゆー教師がいなくなんない限り、


ガッコという場所は息苦しい。