後悔の書

文学界の、末端の末端を支えているひとりとして、


中島敦の『山月記』、職業柄数え切れぬほどに読み返している。今もまた、大変な時間をかけて読んでいる。


漢文訓読調の文体の流麗さに心打たれ、彼の書いたものすべてを追い求めて読んだ十代の頃のインパクトは、文章の流麗さや荘厳さの多くが原点からの借り物であることを知るにつけ、また、読み込むほどに李徴という人間の造形に鼻白んだりもして、日を追うごとに色褪せてはいるのだけれど、


「産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ」


という李徴の台詞には、未だに心動かされるわけであって、


オレは今までに何をして来たのだろうな? 向後、生き長らえて、何を残すのだろうな?
と、振り返り、また、考える。


李徴という男はそう思わなかったようだが、子を持つ者は、その子が、カタチとして、命として残る。
それが生き物としての役割であり、生きることの意味なのだというのはたやすい。
そして、この世に生きた多くの者は、それそのことを、恐らくはそのことだけを、己の生きた証として彼岸に逝く。


けれども、そのことの他、この世に何かを残したと実感できる者は少ない。


何をなすのかが目的なのではなく、生きることそのものが目的なのだ。と断ずることもたやすいけれど、
オレは、ここで、何をなすために生きているのか? というのは永遠に解けぬ謎ではある。


ただ、近頃は、


自分のやったことを、たとえ相手が直接知らないことであっても、己のなしたそのことを多くの人が知るところでないことであっても、


自分の育てた人参を、玉葱を、キャベツを、どこかの誰かが買い求め食らったということや、
自分の拵えた衣服を、どこかの誰かが着用しているということや、
誰かの時計や自転車や自動車を、自分が作り、修繕したということが、


「何かを残す」ということなのではないか? と、つらつら思う。
その意味において、「ものづくり」に携わる人々の日々の充実を羨ましく思う。


自分の話した何ごとかが、誰かに届き響いて、その者のその後の立ち居振る舞いに影響を与えたかも知れぬということが、オレにとっての「何かを残す」ということなのだろうけれど、それを、目に見えるカタチで実感することは、そう多くはない。


中島敦という男は、わけのわからぬ生を生きながら、そんなことをつらつら思っていたんだろうなと思う。
山月記』が、21世紀の今に至るまで、この国の大多数の人々に読まれることになろうとは、彼自身夢にも思わずに……。


山月記』を、そんな彼の「後悔の書」として、数十回目の今、また読んでいる。


あちらのモノをこちらに動かすだけで金が動くような世の中でうまく立ち回っても、それは虚しいこと。
目に見えるモノを作るわけでもなく、得ている対価がそれに相応しいかどうかを実感できぬにしても、オレのやっていることは「虚業」ではない、「虚業」にしてはいけないならない。と、それほど臆病でもないし尊大でもないが、自尊心も羞恥心も強くないオレ、思う。


本業の方も、音楽の方も。ね。