遠い昔のエトセトラ

大学に入って、ビンボーだったから「寮」に入った。


「日本四大自治寮」のひとつと言やぁ聞こえは良いが、旧制高校の寄宿舎として開設。1926年に移転してそのまんま朽ち果てつつある「廃屋」。


風呂トイレ、補食スペースもちろん共同。1年生はふたり部屋。
廊下の床板穴ぼこだらけ。窓ガラス割れたらボール紙で補修。それも追いつかず抜けたままの箇所もちらほら。
壁ぶちぬいて二部屋続きになってたり、建物全体傾斜しているから外からつっかえ棒がなされている。
出火の際には倒壊の可能性高いから放水しないよと消防から釘を刺されている。
よって、なのかどうだか、冷寒地というのに石油ストーブ厳禁。暖房は電気ゴタツのみ。冬場はコタツの上に置いたコップの水が朝になったら凍っている。


そんな寮に入る時、寮内に存在するいくつかのサークルのどこかに必ず所属せんければならんかった。


「歴研(歴史研究会)」、「轍(わだち)」、「男組」、「新世界」、「(五万)五万分の一」などようの名称だけ見てもなんのこっちゃわからんけれど、政治活動に学生運動熱心なのは困りますわい。と、その手の匂いのするサークルは敬遠して、入ったのが「エト(エトセトラ)」。
見事なまでのノンポリ集団、ビンボー学生。夜毎夜毎、大量の安酒とかっぱえびせんとサバ缶が消費されて行く。
まだコンビニが一般的じゃなかった時分、酒がなくなりゃ、深夜であろうがお構いなしに近隣の酒屋の雨戸ドンドン、叩き起こして買い求める。
えびせんには、一味唐辛子大量に振りかけたマヨネーズ。サバ缶は水煮。ラー油しこたま振りかける。と、結構長持ちする。
「無鑑査・一之蔵」冷やのまま湯飲みで、スピリッツなら「樹氷」か「純」、ウイスキーなら「トリス」か「レッド」どれもほとんどストレート。


このままじゃ身が持たないと途中離脱したけれど、離脱してからも頻繁に寮に顔出していたバカなオレ。
そんなオンボロ寮も、オレの在学中に大学の所管となって鉄筋5階建てに建て替えられて、遠い昔のエトセトラ。


あー、今更必要ないのかも知れんのですが、クルマに「ETC」つけたのな。


で、思い出した。おそまつさま。