思い出すことども

monbiz_ko-12009-03-11

同僚にして年長の物理教師、本日、他校に異動すること決定致した。
とりあえず、「おめでとうございます。ご苦労様でした」と言うのが、現任校から去る人に贈る言葉として適切なようであるから、「良かったですね」と声かけた。

転勤に向けて、立つ鳥跡を濁さずと後片づけ始めた同僚、オレんとこに現れて、
あの時もらった「参加メダル」と「監督」の胸章が出てきた、と、オレにくれよーとする。
そんなもん、あったことすら知らず。別に欲しくないけど、かと言ってゴミ箱にポイするわけにも行かず。

この同僚、20年を遡る昔、オレの初任校でも同僚で、オレが独身時代からの古い知り合い。
で、オレにとって3校目である現任校でもまたしても同僚になったという腐れ縁。

現任校に着任したその日、生徒会担当者から「つきましては、運動部と文化部それぞれひとつずつ顧問を引き受けて貰うことになっております」と言われ、

「文化部は、まぁ軽音楽部引き受けてもいいけれど、運動部ねぇ……。どーしたもんかなぁ」と悩んだオレは、この人に相談した。
すると、「ここはクラブ活動が成立している部はほとんどないよ。部員ほとんどいない野球部にでもしとけば?僕も野球部顧問だし」と言うので、その言に従い運動部の顧問は野球部希望しておいた。

したらその年、活動していないはずの野球部、メンバーかき集めて地方大会予選に出るのだという。
で、彼を含めた顧問3人でジャンケン。オレが監督、彼が部長ってことになった。
部長は開会式に付き添い、ちんたら行進する生徒たちテレビに映し出されて、各方面から不興を買った。
オレは、試合当日、ユニホーム着用してベンチに入った。
審判員のおっさんに、パンツの着こなし、「プロ野球選手の真似しないで、ストッキング見えるよう裾をもっと上まで上げなさい」とクレームつけられた。「んなのどーでもいーじゃんかよ。楽しくやろうぜ」と思った。

そしてプレイボール。ウチのトップバッター、ロンゲ茶髪にピアス、アンダーシャツ未着用。
これで強けりゃかっこよろしいが、弱かった。タオル投げようかと思ったけれど、ボクシングじゃないから、そんなことしてもダメなのわかってた。
結果、コールド負け。試合後、挨拶する生徒たち「また来年来ま〜す」と言ったら、審判団に、「もー来てくれるな」とヤな顔された。
やりたくて仕方なくてもできないヒトたくさんいるのに、オレが高校野球の監督。なかなか笑える。

そん時のウチのトップバッター、夏が終わるとガッコ中退してホストになった。今はどこでどーしてるやら。
「メダル」と「胸章」、いらねぇやと職場に置いてきちまったので、写真は後日UP。